長崎市で生まれ育った田中輝は、地元の工業高校出身。建築を学んでいた田中に、担任の先生が推薦してきた会社の名は、「長崎船舶装備」。田中は最初、戸惑いを隠せなかったという。「先生は、いい会社だよって言うんですけど、名前が『船舶』だし。ほんとかな?って(苦笑)。最初は不安でした」。だがその後、バスケットボール部の先輩が、先に入社していることを知った。早速、先輩に話を聞いてみると、「働きやすいし、周りの人もいい人だよ」。その言葉に背中を押され、田中は入社を決意した。
長崎建設事業部には、建築グループと内装グループがあり、田中は建築グループに配属された。建築グループを希望したのは、田中自身。建物全体を作ることに興味があったからだ。最初の現場は、外車のショールームの新築工事だった。新人の田中は、現場の掃除や、ちょっとした資材の発注、施工写真の撮影などを任されながら、先輩について現場の基礎を学び始めた。
高校では建築科に在籍していたが、授業の知識がそのまま使えるほど、現場は甘くはない。最初は図面の見方もよくわからなかった。だが田中は、先輩に教えてもらうのを待つのではなく、時間が空いている時に、自分で調べ、自分で図面を書いてみながら勉強した。「最初の頃は、わからないことばかり。でも、少しずつ図面を理解できるようになると、自然と自分なりの考えも出てきます。そして、深く知れば知るほど、この仕事が面白くなってきた」と田中は振り返る。
6年目になった田中は、今、マンションの建築現場で、現場代理人の補佐として働く日々を送っている。施工図や工程表とにらめっこし、まちがいやズレがないか、確認しながら、年上の職人さんたちに指示をする。「と言っても、僕たちはお願いしている立場。どうやったら職人さんたちが気持ちよく働いてもらえるかを考えなきゃいけない。職人さんたちと仲良くなることも、この仕事の大事なポイントだと思います」。新人の頃は、職人さんに叱られたこともあった。それでも田中はひるまなかった。休憩時間に積極的に話しかけ、力仕事をすすんで手伝い続けた。気が付けば、「田中」ではなく、「ひかる」と呼ばれるようになった。「ときには、職人さんに無理をお願いすることもあるんです。そんなときに、『ひかるが言うけん、しょうがなかたい』って(笑)。こないだも、新人のときに叱られた職人さんと久しぶりに仕事をしたら、『変わったな』『できるようになったな』と言ってもらえました」と田中はうれしそうに話す。
そんな田中は、資格取得にも積極的に挑んできた。最初の目標は、2級建築士。だが独学では難しい。そこで、会社の補助を受け、専門学校にも通った。「仕事が終わった後と、日曜日の時間を使って、学校に通いました。先輩たちが背中を押してくれたのも大きかったです。取得している先輩も多いので、試験に関する情報をもらったり。おかげで入社5年目に、2級を取得することができました」。資格を取得すると、会社から10万円の祝い金も支給される。そのお金で田中は、両親を食事に招待したそうだ。「やっと少し、親孝行ができたかな。次は施工管理の1級をめざしたい」と早くも新たな目標を見つめる。
高校の同級生のなかには、田中と同じように、建設会社へ就職した仲間も多い。たまに会い、情報交換をすると、長崎船舶装備の環境の良さを実感するという。「うちは、県内の同業より給料がいいです。それに、休みもとりやすいということに気づきました」。建設業界、とりわけ現場を取り仕切る施工管理は、休みが少ないイメージを持たれがちだが、「土日は基本的に休めます」と田中。その理由をたずねると、「人数の多さ」を田中はあげた。「うちは施工管理の人数が多くて、どの物件も3~4人で担当しているんですよ。だから、内装を担当する人、躯体を担当する人、といった具合に、仕事を分担できる。だから、休みも取りやすいし、残業時間も減らせているんだと思います」
5年目の終わり頃からは、田中は施工図作成の一部も任されるようにもなった。「13階建てのマンションの、骨組みになる部分の図面でした。任せると言ってもらえたときはびっくりしました。大丈夫かな?って思ったんですけど、でも、うれしかったです」。そのマンションはその後、無事に竣工。今ではそこに、多くの人々の暮らしの営みがある。「たまに近くを通るんですよ。つい、見ちゃいますね(笑)。なつかしくて」と田中。「同じ建物って、ないんです。マンションも、1棟1棟全部違います。すべての物件に思い出があって、それが地元にどんどん増えていく。それがこの仕事の魅力だと思う」
過去の思い出が、今日のモチベーションとなり、今日の学びが、明日の糧となる。建物とともに、田中は自分が少しずつ成長している実感も積み上げている。「将来の目標は、施工管理のトップである現場代理人になること。早く、自分が1から建てる経験をしたいです。大変そうだけど、自分の考えを、思い切り表現してみたい」。普段は寡黙な田中が、そう言って力強く目を輝かせた。